1948-06-29 第2回国会 衆議院 水産委員会 第23号
本請願の要旨は、北海道禮文郡香深村会所前の船入澗は設備不完全のため利用度が大いに縮小されている、しかるに同港は北海道本土と内地との連絡港として、又近海漁場の避難港として重要なる位置を占め、特に北洋漁場に失つた今日、益益その重要性を高めつつある、ついては該船入澗を香深港として速やかに大改修工事を施行されたいというのである。
本請願の要旨は、北海道禮文郡香深村会所前の船入澗は設備不完全のため利用度が大いに縮小されている、しかるに同港は北海道本土と内地との連絡港として、又近海漁場の避難港として重要なる位置を占め、特に北洋漁場に失つた今日、益益その重要性を高めつつある、ついては該船入澗を香深港として速やかに大改修工事を施行されたいというのである。
紹介議員は同じく、木下源吾君から請願の要旨につきまして説明がありましたが、同漁港は禮文島における唯一の港で、先に継続事業として着手したが、戰爭と資材不足のために一時中止となつておるが、漁業上からも、一般交通上からも極めて重要であるから、速かに修築せられたいというのであります。 第三は、請願第六十号手打漁港築港に関する請願であります。紹介議員岡元義人君から請願の要旨について詳しく説明がありました。
(第一一〇八号) 第四六三 江良船入澗拡張工事施行の請願(冨永格五郎君外一名紹介)(第一一七七号) 第四六四 厚田村に船入澗築設の請願(椎熊三郎君紹介)(第一一八〇号) 第四六五 燒尻村に漁港築設の請願(佐々木秀世君外三名紹介)(第一一九〇号) 第四六六 舟見町に漁港築設の請願(三好竹勇君紹介)(第一二三三号) 第四六七 苫小牧町に漁港築設の請願(三好竹勇君紹介)(第一二三五号) 第四六八 豊浦町禮文
第一一七七號) 八一 厚田村に船入澗築設の請願(椎熊三郎君紹 介)(第一一八〇號) 八二 燒尻村に漁港築設の請願(佐々木秀世君外 三名紹介)(第一一九〇號) 八三 舟見町に漁港築設の請願(三好竹勇君紹 介)(第一二三三號) 八四 苫小牧町勇拂に漁港築設の請願(三好竹勇 君紹介)(第一二三四號) 八五 苫小牧町に漁港築設の請願(三好竹勇君紹 介)(第一二三五號) 八六 豐浦町禮文
生鮮食料品並びに水産加工品統制撤 廃に関する陳情(第四百三十五号) ○魚津漁港拡築に関する陳情(第四百 九十三号) ○澁佐漁港船たまり工事に関する請願 (第四百七十八号) ○四倉漁港整備に関する陳情(第五百 六十号) ○漁業法の一部を改正する法律案(内 閣提出、衆議院送付) ○松川浦漁港第二期修築工事促進に関 する請願(第四百八十六号) ○燒尻漁港の築設に関する請願(第五 百三十四号) ○禮文漁港築設
の請願(冨永格五郎君 外一名紹介)(第一一七七號) 厚田村に船入澗築設の請願(椎熊三郎君紹介) (第一一八〇號) 燒尻村に漁港築設の請願(佐々木秀世君外三名 紹介)(第一一九〇號) 舟見町に漁港築設の請願(三好竹勇君紹介)( 第一二三三號) 苫小牧町勇拂に漁港築設の請願(三好竹勇君紹 介)(第一二三四號) 苫小牧町に漁港築設の請願(三好竹勇君紹介) (第一二三五號) 豊浦町禮文
禮文漁港築設について請願いたしたいと思います。本漁港豫定地は、北海道の虻田郡豊浦村字禮文にあるのでありますが、この禮文は船入澗の設備なきため、漁船の巻揚等のため損傷はなはだしく、また常に數マイルを航行し、豊浦漁港に至り漁獲物の取引をなす状態であり、また豊浦が唯一の避難港であります。
第一八、豊浦村禮文に漁港築設の請願、三好竹勇君紹介、文書表第一二三六號。第一九、伏古別に漁港築設の請願、三好竹勇君紹介、文書表第一二三七號。第二〇、有珠漁港修築の請願、三好竹勇君紹介、文書表第一二三八號。第二一、虻田町に漁港築設の請願、三好竹勇君紹介、文書表第一二三九號の七件を一括して紹介議員の説明を求めます。三好竹勇君。
鐵道連絡工事施行に關する請願でありまして、宗谷線終點檜内驛より野寒市、西稚内、坂ノ下を經て宗谷線拔海附近の間に鐵道連絡工事實施せられ、もつて沿線町住民の利便と福祉に貢獻し、北海道開發の一端に資し、新日本建設のためにつくしたく、道民一同の念願につき、特段の御高配を賜わりたく、理由竝びに圖面相添え町民連署の上の請願で、請願区域は稚内町字野寒市、西稚内内、拔海間にして、終戰後國境となり、宗谷海峡を距てて利尻、禮文兩島
利尻、禮文両島はその近海に「にしん」、「ほつけ」、「すけそうたら」、「さめ」、「まぐろ」、「かれい」、「こんぶ」、「なまこ」等の魚族に惠まれておりまして、四季を通じて活溌なる漁業が行われております。これらの沖合漁業の根拠地といたしまして、盛んに利用されておるのであります。 次に留萌港以北稚内間を唯一の避難港として、且つ船舶の給水地として利用されております。
丁度この禮文の西方に武藏堆という非常に大きい漁田があるそうでありますが、これはまだ全然開発されておらないそうであります。さようなことで丁度四十五度三分の南になつておるものですから、この附近ではどうしてもこの漁田を開発するためには、相当に大きい漁船を出さなければならないので、それがためにはどうしても禮文の方にはその港ができないので、ここの港を開発するのが一番よろしいとこういうことを申しております。
この利尻島の北には禮文島という小さな島がございますが、この島の北端がすなわちマツカーサー・ラインと稱せられる今ロシヤによつて占據されておる線でございます。從つてこの利尻、禮文島、この附近一帶は北海道における最北端と申しても過言はないのであります。この島は明治以前より漁港として、漁村としてごく寒村ではございましたが、和人も住居しておつた村でございます。
一、利尻、禮文兩島における小手繰蛸空釣、すけどうだら刺鋼、鱈及びすけどうだら延繩漁場より最短距離にありますので、これから沖合漁業の根據地として、また避難港として盛んに利用されておらるること。 一、留萌港以北稚内港間の中心地であり、また自然の良港のため、唯一の避難港としての漁船竝びに一般運搬船に利用されておりますこと。